おおねこ日記

たくましく生きる日々について

春・母と娘・非戦

昨日3月12日(土)の日記です。

 

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今日も日記的に綴りますので、お手柔らかにどうぞよろしくです。

 

今日は、まごうことなき春、でしたね。幼いころから「泳げそう」と思う大気の温度があって(これはこの気温下ならプールが楽しめそう!という意味ではなく、大気の中を泳ぎ回りたくなるぬくい温度という意味←理解し共感してくれる人は経験上とても少ない)まさに今日はその泳げそうな温度で、あぁここでも、あぁあそこでも、泳げそう〜〜!と思いながら鳥の気分で過ごしました。久しぶりにまったりとした休日でしてパートナーとながい散歩をし、来たる週の食材の買い出しを済ませ、わたしは途中で友人に会いに行って井の頭線公園で2時間ほど語り合いました。池に浮かぶボートのスワンが総動員されていました。夜ごはんはレタスとわかめと卵の中華スープと白米と納豆でシンプルに。

 

そして今日は母と娘についても考えさせられる日でありました。

 

やっぱり女友達と話すと多かれ少なかれ、これからの家族構成なども含めたこれからの生き方の話になるんですね。ボーイズトークでも同じことは起こっているのかしら。だれしも一人で生きても二人で生きても大人数で生きても別になんでもよく、その選択は自由でしかないはずなのですが妊娠や子育てなんかを考えるとキャリアや人生プランにまで意識しないといけない気が勝手にして、みんなして頭を抱えることもしばしば。幼保無償化に所得制限を課そうとしている国でどのように家族をつくることに前向きになればいいんだろうねそもそも。。。そして話すたびに「母と娘」は強力に結びついているのだと実感します。

 

わたしは生まれた家からすると「娘」であり、母とは一悶着も二悶着も三悶着もありました。自分の人生で叶えられなかったことを叶えてやりたいと願う母、つよい願いを呪いにまで感じ自分のことは自分で決めたいとジタバタする娘。母には母の個人としての人生も楽しんでもらいたい娘、自分の人生より娘の人生を大切にすることを譲らぬ母。等々。

母が痛いとわたしも痛い。完全に別のものとして分けて考えるにはそこから血が吹き出しそうになる。すべて愛ゆえ。

母と娘という関係性は永続的であるためどうしたって今後も母は娘に、娘は母に、良くも悪くも囚われるんですね。だからガールズトークでは「うちの母親は〇〇歳で結婚したし」とか「うちの母親はやっぱり経済的自立が大事と言うし」とかよく聞く。まっさきに思い浮かぶ自分の人生のロールモデル第一号は実母なんだよなあ。母と娘の異様な結びつきは、母と息子、父と娘、父と息子とは大きく違うものである気がする。「母と娘」についての本や研究はさまざまあります。うちいくつかは手元にあるので、改めて読んでみようかと思っています。

 

今日は外にいる時間が多かったので、自然とスマホを触る時間も減り、よってウクライナロシア情勢からしばらく離れることができました。そしたら心がようやく休まった気がする。離れてはいけないのではないかと思ってる人、離れてもいいと思ったよ。離れて、休んでから、また考えればいい。自分のこころがやられたら元も子もないんだったよ。

 

そして心が休まった余白で考えたのが、非戦のためのしごとについて。昨日もざんねんながら喫茶店をやっているだけでは世界平和には近づかないって書いたのだけど、これからはより食べるものを自給する方向へといけたらいいのかも、なんて思いました。

食糧とエネルギーの自給に加担して行けたらいいのかもしれない。

 

非戦のための、世界平和のためのしごとを、考えて行動に移していきたい。アイデアのあるひと、いっしょに考えてくれるひと、ぜひ教えてください。みんなで考えていきたいな。

戦争・国際女性デー・3.11

どうもこのごろ言葉が出てこないのです。

書こうと思えない。なぜかはだいたいわかっている。しんどい出来事が多すぎるからだ。

 

でも出てこないだけでほんとうは外に出したい言葉がら鬱憤のように降り積もっていくのを感じてこりゃいかんと思いますので、気が向いた時には日記としてそこに書いていこうと思います。

 

ロシアがウクライナへ軍事侵攻をはじめて二週間と一日が経ったらしい。

十五日間。なんて長い十五日間だったろう。

初めの数日間は「いや、まさかねぇ」「まさか、続かないでしょうこんなこと」と思っていたら、悪化しながら続いている。日本のメディアはやっぱり情報が遅く不正確なことがあるため(フェイクだと言われている過去の他所での紛争の映像を今回のものとして一週間近く垂れ流しているメディアもあった…)英語でニュースを取り入れる日々。非常にショッキングな映像が流れます、というアラームのあとに流れる、一般市民が殺される映像を何度も目にした。非常に、ショッキングだった。だけどいまこの目で見ておかないといけない気がしている。今回の軍事侵攻はかなり注目されて私も注目するに至ったわけだが(恥ずかしい)過去にもロシアは他国に侵攻して同じように酷いことをしている。そのとき注目できなかった分を補うかのように。また日本が沖縄にしている(現在進行形)こともそうだ。注目できていなかった分を反省するかのように。ニュースを貪り、「戦争反対」と当たり前のことを震える声で口にして、このことについて会う人会う人と話し、情けないほど少額だが寄付をしている。

 

それと、今後は平和に積極的に資することをしごとにしていきたいと思いました。ざんねんながら喫茶店をやるだけでは世界平和に近づけるのかといったら、ノーに近いんだと思う。もちろん個人のその日の生活を彩るでしょうししばらく生きる勇気にもなり得るでしょうし実際わたしも喫茶店には何度も何度も救われてきているし喫茶おおねこがそういう場であれば非常に幸いなのだけど、うーん、どうしていこうかと悩みどころ。ひとまずは喫茶おおねこで店内配布している「おおねこ通信」にて毎回ウクライナとロシアのことについて触れて、寄付先の情報を載せている。

 

世界平和。なぜかちょっとこそばゆいのにどこまでも切実なこの言葉。わたしはこれを恥ずかしがらず叫んでいたい。世界平和がいいに決まってる。そしてそれにはきっと、喫茶店にとどまらぬ活動が必要でしょう。

 

そんな最中、3月8日は国際女性デーだった。この日くらい、365日のうちのこの一日くらい、女性の権利について真剣に考えさせてくれと思うのに、LGBTQとかジェンダー平等とか男らしさに苦しむ男性の権利とかそれももちろん大事なのだけど国際女性デーとなにもかもごっちゃにして考えたいキャンペーンがやたら目について悲しくなった。ミモザの日でもありませんがな。

 

そして今日は3月11日。東日本大地震から11年。11年。長いとか短いとかではなくあの日のことだけはすべて飛び越えて耳のすぐそばにぶわっと立ち現れるように感じる。当時わたしは東京の中学生で、たまたま全校生徒が集まって三年生を送る会をしている最中だったのですみやかに校庭に避難して、ただただ呆然としていたら父親がバイクで迎えに来てくれて、クラスの中で家が一番遠かったのに一番最初に帰ることができた。帰ってからリビングに布団を敷きテレビで流れる津波の映像をいったいどこの何の映像なのか脳が処理容量を超えてしまって泣くことも感想も抱けないまま、疲れ果てて家族みんなで寝た。それからも買い占めやら放射能やらもどこか遠くの話のようで、酷い話、本当に、ぼんやりと過ごしてしまった。当時なりの心の守りかただったのかもしれないけれど悔しい。高校生になってから宮古高校の生徒たちとの交流があり夏休みに東北へ赴いたけれどその時も脳の処理容量を超えてしまい、なにもなくなった海岸を呆然と眺めることしかできなかった。生徒たちの複雑な表情がものすごく記憶に焼き付いている。大学生になってから福島第一原発に立ち入った。母親は本気で止めたけど、行かないといけないと思った。でもやはりそこで働く想像以上にたくさんのふつうの人々を見て、その人たちと一緒の食堂で昼ごはんをいただくので精一杯だった。なにを頼んだかは忘れてしまった。爆発した建屋に近づくにつれてあがる線量計を眺めることしかできなかった。わたしはまだわたしなりの向き合い方がわかっていないのだと思う。でも、知りたい。備えたい。わたしは覚えていたい。あのとき会った高校生たちの表情から触れた機微を、どこまでも続く海岸を、無数の作業服の足元を、空の広さを。

風通しよく生きたいね

 

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そういえばもうずいぶん長い間、髪の毛を染めていない。

 

いまある髪の毛は先から先まで生えたまんまの毛、要するに地毛というやつであります。ショートヘアなので、朝起きて水でぺぺっと濡らして寝癖を直したあとには固形のワックスをちょこっと手に塗り広げてガッとかきあげる程度で外出できてしまう。前髪をくるんとカールさせるコテを手放せずヘアムースやオイルやら一式揃えてせわしなくケアしていたころと比べると(高校時代は、風が吹けば前髪が気になる乙女であった)なんとも身軽になったもんだ。

 

髪だけにとどまらず、顔も年々軽くなっている。朝は水で洗い、夜はボディーソープといっしょにさっと洗うだけ。そのあとは化粧水をばしゃ、ニベアの青缶をうすく塗っておわり。年を重ねて油分が減ったからだと思うけどこれだけでも吹き出物は出てこない。外出するときは気持ちばかり眉毛に粉を付け、リップを塗ったら完了。急に断捨離の気持ちになった際にビューラー(まつげをくるんとするやつ)もグロス(キラキラしたリップ)も捨ててしまった... 日常的にマスクになってからはリップも薬用リップだけになってしまい身軽極まりない。

服もそう。自分の気に入るものだけを着て、誰かの視線を気にしたり、無理に流行で着飾ったりなどで着させられているものがどんどんなくなってきて、頭のてっぺんからつま先まで気持ちがいい。

 

思えば、髪を初めて染めたのは大学に入ってからで理由は多くの人がそうだと思うんだけど例にもれず私も「ただなんとなく」で、でも一度染めたらもう染め直しのループに入ってしまって2カ月に一度は美容院に行って切って染めての3時間コースで毎度へとへと。地毛からして茶色がかっているのに染め直し続ける意味が分からないなあとぼんやり思いながらもなんとなくそのループを絶てずにいたのだった。いい加減これやめてもいいんじゃないかなとコロナ禍でさすがに思い立って美容師さんに実はばっさり切ってすべて地毛に戻したいんですと相談したら、すごくいいね、きっと似合いますと言ってくれて、染めていた部分をバッサリスッキリ切り落とし人生最短のショートヘアにした。

 

染髪をやめてみるとわかったことがたくさんある。

地の髪の毛がとってもやわらかいこと。

ちょこっと切りそろえに行くだけの美容院は気楽であること。

ついでにお財布にもとてもやさしいこと。

ほんとうに染めたくなった時に思い切り染めればいいんじゃんと思えて

やめてみることで自由になった。お気楽!

 

身に着けているもののカロリーが低いのは自分にとっては爽快だ。

素肌で生きてますって感じの人は見るとなぜかそうわかるし、

シュッとして、潔くて、美しい。

 

なんとなく続けていることを見直してみて

ちょっとの機転でやめてみるとですね、気持ちがよかったりするもんです。

 

今後は、小麦粉の摂取を減らしていきたいともくろんでいます

(しかしおいしいものには小麦粉が含まれていること多し・・・ぐぬぬ

 

なるだけ自分のなかの風通しはよくしておきたいね。

 

助け舟をたくさん備えておく

昨日の晩御飯は、おとといの晩にたっぷり作っておいた春雨サラダ・お気に入りの餃子屋で買ってきた生餃子を山ほど・餃子のゆで汁にたまごとわかめをいれた中華スープ、以上!

 

なんって気の抜けたごはん。しかしこころも胃袋も大満足なので拍手喝采。実はこのお気に入りの餃子屋の餃子は少なくとも二週間に一度はお世話になっている。生餃子を買って家で焼くだけで絶品餃子ができてしまうので、数日前に食べたってのにまた食べたくなるのだ・・・じゅるり。

 

食事のことを一ミリたりとも考えたくないときってのはさほどないのですが(なんなら朝起きてすぐ夜ご飯のことを考え始めることがけっこうある。起きてすぐに「今日の晩御飯どうしよう?!」と聞いても「ね、どうしようね?!」と応えてくれるパートナーと暮らしているのは稀でしあわせなことなのだろう)

とはいえ、「なんとな~く晩御飯のことを考えたくないとき」がボチボチある私です。ほかに集中したいことがあったり、昼ご飯をまんぷくに食べておなかが空いてこなかったりするときね。

 

なんとなく気乗りしないときに「そんな時は、これにしたらいいじゃない!」とすんなり出せる助け舟を備えておくことは、いくら疲れていても一食たりとも無駄にしたくはないと鼻息荒げる食いしんぼうの生きる術であるとすら思う。

 

それは例えばおいしい餃子屋の生餃子やとびっきりの揚げ物屋さんの揚げ物をテイクアウトしておかずにドンと使ってもいいし、カレーやハヤシライスなんかは美味しく作れた時に一部を冷凍しておくのも手。手"間”抜きなのに豪華な晩御飯の出現である。

もはや手間抜きすらすっ飛ばしたいときは気持ちのいいラーメン屋さんに駆け込んでしまうのも手・・・(気持ちのいい、というのがポイントよね。ふだん胃もたれしやすいのでラーメンはめったに食べないけれど、自家製麺化学調味料不使用のやさしいラーメン屋さんがあり、こういう時に駆け込ませてもらっている。食べると爽快な気分になる!)

 

「なんかなんとな~く晩御飯のことをあんまり考えたくないとき」はあれど、

「もーほんとにどうでもいいわごはん適当でいいわ知らんわ」というクサクサした気持ちにまでなってテキトーなごはん(場当たり的で心ここにあらずなごはん)にしたときの、空腹感はなくなったのに満腹感は訪れない、ふしぎで物悲しい食事、というのをしてしまうたびに思ってきたんです「もうこういう食事はけっしてしない」と。

 

だから普段から、自分の助け舟になってくれそうなごはんを目の端っこでいつも探している気がしています。あ、ここのたい焼きは小腹が空いたときにいいな。あ、おでんのテイクアウトはそのまま晩御飯に組み込めそうで便利。おお、この食堂は品数も多いし手作りだから外食先としていいな・・・メモメモ。

 

もう何にもしたくなーい!というときの救世主となる助け舟を普段から用意周到にいくつもいくつも携えておくことは、きっと一食たりとも

食事を無駄にしないための、大切な心得ではなかろうかと思うのであります。

詩を書くしかないってときがある

 

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今日も10000歩以上歩いてすっきりしています、なりさです。

朝一番に飼っているねこちゃんを動物病院に連れていき、

(オスのねこちゃんで、尿路結石の疑いあり。先週から服薬と食事療法を試していたので経過観察に連れて行ったのでした。引き続き服薬と食事療法を続けることになりました。外に連れ出してから家に戻るまで、一瞬も休まず叫びのような激しい鳴きをやめなかったねこちゃんよ。怖かったんだよね。どっと疲れてもうた!)

それからは、いろいろ更新するための役所回りへ。

持っていかないとうんともすんともならない書類をしっかり忘れて、

忘れていることに気づかないで、

気持ちいいぜ!と思いながら自転車をかっ飛ばして市役所へ。

案の定手続きできずいったん出戻り。でも不思議だねえ、運動しているとまったくネガティブな気持ちにならなかった。「そうですか!では、戻って、また来ます!」とさわやかに言えた。運動はこころの健康にもとっても大事ね。

 

そんなこんなで帰ってきてあんこを炊きはじめまして、

蒸らしの時間にこれを書いています。

 

そんで今日考えていたのは、「詩を書くしかないってときがある」ということ。

詩といえば、小学校の時の教科書を音読するときに出てきたなとか、

茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』にハッとさせられたこととか、

谷川俊太郎さんの詩集も好き。詩を読むことは好きだ。

好きなのだけれど、簡素な言葉たちから紡がれるエネルギーのおおきさにおののいてしまっているようでいて、どこか芸術というか、一握りの人が表現をおこなう高貴なアートの世界のことのように、勝手に遠巻きにしてみていた。この間までは。

 

それがね、もうどうしようもないときがあって。

それは祖母が昨年の6月に死んだことで。しかも祖母は千のか~ぜ~に~になるなんてとんでもなく、大竜巻、大嵐、大雷、家屋をなぎ倒すかのように禍根を残していった。親族は荒れに荒れて散り散りになった。(現在も復興の目途立たず)そんなんだけど、まあ時間がたつと強制的に日常に引き戻されるわけですから、すぐに笑えるようにはなるのね、実際日々はたのしいし、ゲラゲラ笑ったりもするわけさ、とりあえず目の前のことをこなすことに集中するわけさ、そんだけども、心はいったんトコロテンのあの専用の道具あるじゃない、あれでぐにゅう~って通されてしまったみたいにどこかへつるつる滑り落ちていってしまっていて、どこですか~原型は〜、、、みたいなね、日常の焦点が合わないというのかな、心の焦点も重心も皆目わからなくなってしまって。

それでなんでかな、パソコンをむんずと開いて、書いていたのが、詩だった。

ペンを握るにはまだ程遠くて、パソコンでカチカチ打つくらいがちょうどよかったんだろうね。ひといきに書いてみた詩(というにはひどいかもしれない。詩というより散文?)は、ちょっと墓場まで持っていきましょうねというくらいの怒りや憎しみが溢れていたし、読み返して気分のいいものじゃなかったけれど、吐き出してみたら心が明らかに軽くなった。新陳代謝。Word文書がわたしの一部を請け負ってくれたような感じ。ありがとうWord文書。

たぶん、詩は、言ってしまったら世界を爆破させてしまうかもしれない爆弾をもすんなりと吐き出すことのできてしまう、受け入れてくれてしまう、ふところのとんでもなく広いものなのかもしれない。

 

だから、詩、書いてみようと思う。これからも。

だれにも制限されていないんだった。

詩はたぶんもっと身近な、みんなのものだ。

誰にも見せたくないものもあるし、見せたくなるものも、生まれる気がする。

 

今は吉増剛造さんの『詩とは何か』を読んでいる。

 

そんなわけで、東京に雪が降った日に書いた詩を載せてみる。

ちょっと恥ずかしうれしい。

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背筋の伸びるひと

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背筋の伸びるひとが亡くなったと聞いた。


来ると、こちらの背筋が伸びるひとだった。

私のはたらくカフェ(喫茶おおねこではないほう)の長い常連さん。隅々までピシンと手入れされた服を着てゆっくりと店に入ってくる。お気に入りの席は入り口のドアに近い席だった。メニュー表とお冷をおくと必ず「ありがとう」と言ってくださる。注文を受けると、そのほとんどの場合、ナポリタンを頼まれ、パンとサラダも付けて、食後にホットコーヒーと焼きりんごを頼まれた。

 

ずっと気になっている人だった。週に一度は来られていたのに、ここ数ヶ月、顔が見えない。最初は(コロナ禍だからなぁ)なんて思い直していたけれどコロナ禍でも変わらず来られていたから、どうもそうでない気もする。もしかすると、なんて考えるのも口にするのもはばかられて、私たちは気になるねぇ、と言い合うにとどめた。とどめたかった。その方の訃報をべつの常連さん伝いに聞いた。正直、どうしていたかわかってほっとした。店の側からお客さんの安否を知りたい場合、来てくれるのをひたすらに待つしかできないことがあって、今回はそのケースだった。

 

名前も、住むところも、このカフェに来るとき以外の日々の暮らしのほとんどをまったく知らぬひとだけれど、ここでの好きな食事はよく知っている、ゆっくりと美味しそうにぺろりと召し上がることも知っている、焼きりんご今日はあるかしらと目をキラキラしてショーケースを確認することも、全ての動作に頭をすこし下げてありがとうとはっきりと言ってくださることも知っているひと。その方が来られるとわたしの背筋は伸びた。しゃんとしなきゃ。若いひとにもお店のひとにもはっきりと敬意を払うことの美しさを教わった。こんなふうに歳をとりたいとうらやましく思わせてくれるひとだった。

 

亡くなったのは急だったと聞いた。ということは、最期までいつものように思う存分食事を楽しまれたということだろうか。そうであってほしいと願ってしまう。また店にゆっくりと入って来てくれるような気がしてならない。

逃げ場としての喫茶店

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「なぜ喫茶店をはじめたのですか?」と聞いてもらえることがありがたいことに増えました。

 

なぜ始めたんだろう。

きっと、どんな物事でもはじめたきっかけはあるのだろうけれど、きっかけは一つとは限らない。

 

冷静にできごとを振り返ると、

当時、わたしはまだ大学5回生の四年生で、卒論もほぼ書き終わり暇を持て余していたこと。

そして就活をせずに卒業したら農家さんたちのお手伝いをしながら日本を巡ろうかしらなんてぼんやりと考えていただけだったこと。

そこに、お店作りの手伝いをしませんかという投稿が目に止まって、本当にたまたま行ってみたこと。

そこからとんとん拍子に出店させてもらえることになって、喫茶店にしようと思ったこと。アルバイト先のマスターがネルなどを貸してくれたからネルドリップを淹れることができるようになり、自粛期間中にパートナーがよく作ってくれた自家製あんこがたまらなくおいしくて、それで自家製あんこのホットバターサンドにしようと思ったこと。2月から始めようと思ったから2月3日にオープンして、そこからは毎週のリズムができて、ありがたいことにいつもきてくださる方がいらして、やるたびにやって良かったと思えて、がっしりと支えられて、今に至る。

 

なぜ、始めたんだろうね。

巡り合わせとしか思えない積み重なりの先にいまの自分がいるだけで、いつまで続くのか、いつ終わるのか、わからないけれど、続けられるだけ続いていけたらきっとすてきだろうなあ、というのが正直な温度感なんです。変だよね。

 

だからなぜを問われたときに言葉に詰まってしまう。

なぜ、って、ときに難しい。

 

だけどこの頃ひとつだけぼんやりわかることがある。これもまた振り返っての思いだけれど、きっと私は「逃げ場を作りたかった」。自分のために、自分に似た誰かのために。

 

週に一度だけでもたった一時間でも

誰のためでもなく自分のために

誰でもない誰かさんでいていい

そんなエスケープって、必要じゃないですか。

 

背負わされたり自ら背負い込んだらしている、いろんな役割、いろんな制約、いろんな思い込みから、いったん離脱できるような場所。それが私には喫茶店というかたちでやるのが合っているってだけのような気がする。

 

実際、いろんな弾を避ける場所として機能している気もするこの頃。

 

また個人的に、自分の信頼のおける逃げ場はあればあるほどいいと思っています。カフェでもバーでもばあちゃんちでも銭湯でも図書館でも押入れでもいいんです。逃げ場が多いほど、きっと生きやすい。ちがうかなあー。

 

だから、わたしはこれからも逃げ場をつくりたい、守りたい、続けたい。喫茶店のかたち以外でも全然いいと思う。雑誌をつくるかもしれないし、ラジオをやるかもしれないし、キャンプにみんなで行くのかもしれないね。