おおねこ日記

たくましく生きる日々について

旅先でコーヒーを淹れる

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突然だけれど、私はコーヒーがたまらなく好きだ。

朝起きて、コンタクトを入れて、やかんに水を入れて火にかける。ここまでが一息。おもむろにスマホを開いて、ぐっすり眠っていたうちに更新されている濁流のようなタイムラインを適当に眺めているとぐつぐつと湯が沸きはじめる。そういや直火コンロは外側から、電気式コンロは中心からあったまるらしくてそれは同じもの作っててもぜんぜんちがうものになってしまうんでないのと恐ろしく思ってる。なんとなく直火が好きだな。そんで最後はやかんの口から湯が溢れて火の元へ落ち、ジューっと蒸発して湯気。ペーパーフィルターにぐるっと湯をかけて湯が落ちたらシンクにぱあっと捨てて、コーヒーの粉を入れて湯をぐるっと注ぎ、もこもこふくらむコーヒーの山を眺める。ああいい景色だ。朝は苦め濃いめの深煎りに限る。ぶわっと広がるコーヒーの深い香りに寝ぐせの隙間まで包まれてうっとりしながら目が覚めてくる。あとはぐるぐるぐると湯を注いで、待つ。お気に入りのマグカップにも湯を注いであっためておく。さて完成。熱いままぐいっと飲むと今日という日のシッポをぐいっと捕まえたような気分になって得意げ。視界が鮮やかになる。いい日になるにきまってるじゃん任せなさいよ。これを毎朝繰り返している。

ところがどっこい旅先では事情が異なる。久しぶりに帰った実家や慣れない街の中にあるホテル。使い慣れたコーヒーカラフェやドリッパーなどない。あっても湯沸かし器くらいで、だいたい電気ポットだ。ホテル内にコーヒーサービスがあったり近くにコンビニがあったりしても違うんです。私は自分でコーヒーを淹れたい、ああどしても淹れたい。

久しぶりに帰った実家にはコーヒーを淹れる器具がひとつもなかった。コーヒーとは粉を溶かして飲むもの、なのであった。(ネスカフェなどの溶かして飲むコーヒーを愛飲していたこともあるから美味しさと便利さはとてもわかる。)初日にそれに気づいた私、二日目にはつらくなってきて、果たして近所を歩き回ってコーヒーミルとドリッパー、そしてコーヒー豆を買ってきた。「なんだそれ」「めんどくさ」とひややかな家族をしりめに、電気ポッドで湯を沸かし、そそくさとコーヒー豆を挽き(ふだんはコーヒーやさんで挽いてもらうから、これに慣れるのに一苦労だった)、とくとくとコーヒーを淹れた。さすがの家族も「これは、おいしい!」と称賛の声。そう、おいしいんだって。手間暇が面倒だけどね、淹れたコーヒーってのは、おいしいのよ。さてさてとわざとらしく、家族にコーヒーの淹れ方をレクチャーする。だいたい粉は18グラムとか20グラムとかからやったらいいよ。挽き目によって味が変わるから変えてみるといいよ。あとマグカップはあっためてね。かくして実家にコーヒーを淹れる文化を導入することに成功した。実家に帰ることに必要以上におっくうにならないのは、そこにコーヒーを淹れられる準備がある、ということが案外大きい気がする。

旅先の小さなホテルでも、やっぱりコーヒー器具がないことがほとんどだ。あきらめの悪い私は、ダメもとでコーヒー器具ってないですよねと聞いてしまう。図々しい奴。先日泊まったホテルの方々はほんとうに優しくて、快くドリッパーを貸してくださって、その場で踊りだしそうだった。ありがとうございます。早速部屋に戻って電気ポッドで湯を沸かす。実は昼間に立ち寄った喫茶店でコーヒーの粉を100グラム分買っていたのでした。用意周到な奴。挽きたての香りに酔う。目の前にはホテルのお茶くみセットの中にあったマグカップ、借りたドリッパー、コーヒーの粉、そしてカチッという音を合図に沸いた電気ポッド。この時、自分の空間が戻ってくる感覚がたしかにある。ああここは私の部屋、朝、コーヒーを淹れる、いつもの習慣の中へ、ドボン。ダイブしたらもう泳ぐだけ。ぷはあ~っと水面から顔を出しては余裕しゃくしゃくいい気分。あらこんにちは。旅先だって私のもんです。

こんなふうにして、私は旅先(それがたとえ実家であっても)での心細さとか、いごこちのわるさとか、自分の足のつま先がどこに触れているのかわからないいたたまれなさとかを、じんわりと和らげてきたように思う。

これからも、旅先ではコーヒーを淹れよう。山だって、海だって、ひとりきりだって、大丈夫。いつもの豆で、できればいつものようにハンドドリップで。旅先でコーヒーを淹れたら大丈夫になれるっていうこのおまじないは百発百中で効いてほしいから、この頃は、携帯用のドリッパーを買ってしまおうか悩んでいる。きっと買うんだろうなあ。